当センターに利用登録している「骨髄バンクを支援するやまがたの会」は、骨髄バンクの普及啓発及び患者支援を目的に活動しています。
 その「骨髄バンク」ですが、私たちは多くの点で誤解しているところがある様に思います。例えば、骨髄液の採取には、背骨に針を刺して髄液を採取し、その時は激痛に耐えなければならない。更には、骨髄バンクのドナー登録をする時から髄液を採取するのだろうか。そんなイメージを持っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 そこで、骨髄バンクを支援するやまがたの会の小野寺南波子さんに、この点も含めて、骨髄バンクについて広くお聞きしました。

   

-2015年6月の当センター取材記事『日本縦断キャラバン2015』より・写真の中央におられるのが小野寺さん-


<骨髄液の採取方法>

 確かに針は刺すのですが、骨髄液を採取するために針を刺すのは、ドナーの腰の背骨のところではなく、腸骨という左右の骨盤2ヶ所から採取します。
骨髄液を採取している時は全身麻酔にかかっている状態です。ただし、骨髄液を採取した後の数日間は、採取したところに若干の痛みを感じる方がいます。その一方で、何の痛みも感じない方もいます。
 骨髄バンクのドナー登録の際は、血液の採取のみを行います。採取する量は2mlです。この採取した血液から白血球の型(HLA型)を判別し、移植を待つ患者さんのHLA型との適合検査をするために、血液のデータはデータセンターに保管されます。


<ドナーの不安を和らげるために>

 ドナー登録に際しては様々な不安があると思いますが、山形でドナー登録ができる「献血ルームSAKURAMBO」では、骨髄バンクに関する説明用の端末が準備されています。これは登録せずに説明を見るだけでもかまわないものです。また、献血ルームや献血のイベント会場に随行する「ドナー登録説明員」が都度丁寧に解説しており、この様にして、ドナー登録に際しての不安を少しでも解消できる様に活動しています。

   

-骨髄バンクについて解説しているパンフレット・リーフレット-


<骨髄液の採取だけではない移植の方法>

 同じ骨髄バンクでも、骨髄移植の他に末梢血幹細胞移植という方法があり、これは、骨髄の中で血液を造る働きをしている造血幹細胞の数を増やして、血液中に流れ出す様にするための薬をドナーに注射した後、その流れ出た造血幹細胞をドナーの腕から採取して患者に点滴で移植するというものです。
 骨髄移植の場合、ドナーは3泊4日程の入院が必要なのに対して、末梢血幹細胞移植の場合は1週間程の入院が必要になります。もちろん、退院後も体調が回復するまでの間は継続してサポートを行います。
 もう一つ、さい帯血移植という方法もあります。さい帯血とは、お母さんと赤ちゃんを結ぶへその緒と胎盤の中に流れる血液のことです。出産後にそのまま捨てられてしまうさい帯と胎盤から残っている血液を提供してもらい、そこから採取された造血幹細胞を冷凍保存して、HLA型の合う患者さんへ移植するというものです。さい帯血バンクは、出産の際に産婦人科から説明があります。説明を聞いた後に、さい帯血の提供に協力して頂ける場合は同意書にサインしてもらうことになります。ただし、産婦人科のある全ての病院で対応しているものではありません。


<骨髄バンクの仕組みが抱える課題>

 患者とドナーの白血球の型が適合しても、骨髄移植に至らずに終わってしまう場合があります。その理由として最も多いのは「仕事の都合」によるものです。

*参考:ドナー候補者に選ばれても実際に提供できなかった理由
    仕事の都合:43%、家族の反対:21%、家庭の都合:15%
    (「日本骨髄バンクNEWS vol.54」より)

 この点を何とか解消しようと、山形県ではドナーに対しての助成制度が平成27年4月から13市町で開始、平成29年度からは全市町村で導入されました。これと併せて、事業主に対しては「骨髄ドナー特別休暇制度」などを通して骨髄バンクへの理解の普及に努めています。また、県内の全市町村でこの助成制度を導入しているのは全国の中でも6府県のみで、山形県はこの中に名を連ねています。そんな中で私たち骨髄バンクを支援するやまがたの会には、日本青年会議所東北地区山形ブロック協議会が活動に協力してくださっており、その点で現役世代にもドナー登録への理解に広がりが生まれているのはとてもありがたいことです。
 そして私たちも、様々な場所でドナー登録に対する丁寧な説明をすることはもちろん、多くの方々からの協力を得ながら、一人でも多くの方に命のバトンを繋げることができればと思っています。

   

-2009年12月の当センター取材記事『みぽりんの絵手紙展』『MAMOのメッセージ展』より-

   

 今回の聞き取りをまとめるにあたって、白血病患者がどんな思いでどういった闘病生活を送っているのかが気になり、自分なりに調べてみたのですが、その様子はとても過酷であることを知りました。
 治療を始めると、咳、下痢、高熱、リンパ腺の腫れ、脱毛、口内炎の拡大、吐き気や嘔吐といった症状に苛まれ、次第に体力が衰えて抵抗力がなくなってしまう。更には、一緒に闘病していた仲間が次々と亡くなって行くのを目の当たりにし、寂しさや苦悩を話し合える仲間がいなくなって行くという精神的な負担が次第に増して行く。こういった状況を小野寺さんは、1992年に17歳で亡くなられたご子息・守さんの闘病の様子から、ご自身の手記「マモ、天国の住所を教えて」の中で「息子の守は、自分の病気が、自分の考えていた以上に、大変な、そして厄介なものであると思い、精神的に打ちのめされていました」と書き綴っています。それを思うと、ドナーを待つ患者の心境は測り知れません。
 患者やその家族の手記には、私たちの心に突き刺さるものがあります。そして、そんな彼らの視点から、骨髄バンクについて理解を広めて行くことが最も大切であると言えるでしょう。

*「骨髄バンクを支援するやまがたの会」に連絡を取りたい方は、一度、当センターまでお問い合わせください。

(取材日:2019年7月12日/文責:山形市市民活動支援センター 花屋伸悟)