1995年2月に設立された「骨髄バンクを支援するやまがたの会」は、2020年に25周年を迎え、それを記念して今年(2022年)1月に記念誌を発刊されました。

そこで4月3日の日曜日、会長の小野寺南波子さんと、記念誌の編集を担当された草刈めぐみさんに当センターにお越しいただき、発刊にあたっての思いや、25周年という節目を迎えてのこれまでの歩み、これからの活動の意気込みなどをお聞きしました。

記念誌発刊までの長い道のり

2019年5月に「全国骨髄バンクボランティアの集い」が山形で開催され、達成感が漂う6月の総会で、気を引き締め直す意味も込めて、いままでの活動をまとめた記念誌作りを発表したのが始まりでした。ところがいざ作るとなったとき、会長である小野寺さん以外、誰もこの会の25年間の歩みを知っている人がいないことに思い至ります。これまでの歩みを後の人たちに残さなければ、この会の歴史が失われてしまう!そんな思いにもかられて記念誌作成に取り組むことになります。

作成手順としては、小野寺さんがワードでまとめたものを草刈さんが誌面としてレイアウトしなおしていきました。ところがこれがのちに大問題を引き起こすことになります。ワードは開くパソコンによって設定が変わるため、レイアウトが崩れてしまいます。そんなことになっているとは知らずに、データを受け取った草刈さんはそのまま編集作業を続けました。だいぶ作業が進んでから二人で原稿を確認したところ、本来あるはずの写真がまったく違う位置になっているなど、レイアウトが大幅にずれていることに気が付き、かなりの修正が必要だということが判明したのです。

お互いに直接顔を合わせて作業できればよかったのですが、草刈さんは東根市にお勤め、お住まいは尾花沢ということで、なかなか会って内容を確認することが難しい状況でした。主な作業は週末に限られ、毎週のように草刈さんが小野寺さんのところまで飛んできて作業を続ける日々が続きました。

まだ入会して日も浅い草刈さんが編集を担当することになったそもそものきっかけをお聞きしました。本格的に記念誌作成に着手したのは2020年。すぐにコロナ禍が始まってしまい、一度は作業がぱったり止まってしまったそうです。小野寺さんは、当初編集委員だった田中さんという方と2人で、以前の資料を見直したり、小野寺さん自身の日記を見返したりして原稿作成をしていました。一緒に原稿作りをしていた田中さんはその作業の大変さにいち早く気が付き、レイアウトなどの編集作業は印刷会社にお願いしたほうが良いと言っていたそうです。ところが見積もりを取ってみたところ、予想以上の費用が掛かることが判明します。

途方に暮れていた時、仕事上広報誌などの編集作業の経験もある草刈さんが手を挙げてくれたそうです。「彼女がいなければこの本はできなかった」と小野寺さんは言います。「まだ入会して2年目なんですけどね」と草刈さんは笑います。お二人の間には、まさに制作の苦労を分かち合った戦友といった雰囲気が漂っていました。

こうしてネットの印刷会社にお願いしたのが昨年12月、なんとか年内に完成することができました。

これまでの活動の歴史を振り返って

この記念誌に寄稿いただいている方々の原稿は、お一人ずつ小野寺さんが直接お声がけして集めたものだそうです。コロナ禍前は全国を飛び回って活動されていて、多い時には月15回も講演を頼まれていた小野寺さん。そこで多くの人とのつながりを築き上げてきました。小野寺さんご自身がそうであるように、こうした友の会はお子さんを白血病で亡くされたご両親が立ち上げることが多かったのだといいます。

骨髄バンクができて今年で30年、もともとは主婦だった小野寺さんは活動当初、どうしたらいいのか全く何もわかりませんでした。某新聞社にご挨拶で訪れた際、名刺一つも持たずに訪ねてきた人は初めてだと言われたほどです。さまざまな病院の先生に講演をお願いする時でも、費用のことまでは考えが回らなかったそうです。なにも知らなかったからこそできたと、小野寺さんは言います。

これまでの活動を振り返ると、講演会をはじめ、映画製作、上映会なども開催し、バラエティに富んだものでした。特に「いのちの読書感想文コンクール」は、若い人たちに命の大切さを考えてもらう良いきっかけになるイベントでした。多くの子どもたちがいのちに関わる仕事として看護師になりたいと作文の中で書いてくれて、その中にはその後実際に看護師になった子も5人いるそうです。残念ながら資金の都合上、現在は開催されていないのですが、コロナ禍やさまざまな問題に直面している今だからこそ、再び開催する意義があると感じました。

 

記念講演会中止について

2022年2月の開催に向けて、せっかく準備をしてきた25周年記念式典だったのですが、ちょうど山形市が蔓延防止等重点措置の期間に入ってしまい、講演会も中止せざるを得なくなってしまいます。講演をお願いしていた虎ノ門病院の谷口先生は、全国骨髄バンク推進連絡協議会の理事もしておられた方で、日本の骨髄移植のパイオニア的存在なのだそうです。骨髄移植だけでなく、臍帯血移植にも力を入れていて、近年はミニ移植でも成果を上げていらっしゃいます。かつては年齢的に45歳が限度と言われていた骨髄移植は、最近は55歳から60歳まで可能になっているそうです。更にこのミニ移植のおかげで体への負担も減り、70歳以上でも移植が可能になりました。そんな谷口先生に小野寺さんはずっとラブコールを送ってきました。実は15周年の際にも講演をお願いしていたのですが叶わず、今回は10年越しの思いだったのだそうです。

 

新たな技術の発展

谷口先生が研究されている臍帯血移植は、冷凍保存している臍帯血を使えるため、ドナーが患者の体調に合わせて提供しなくてもよくなりました。
骨髄バンクでは新型コロナ感染蔓延のための特別対応として、造血幹細胞の凍結申請を認め、凍結保存細胞による移植が100例以上実施されたようです。現在、移植施設より凍結移植後の経過について調査票を提出いただき、その内容を骨髄バンクの医療委員会において解析しているようですが、冷凍保存が出来ればよりスムーズな移植が可能となり、多くの命を救うことにつながります。また、ドナー登録していただいた50万人分の骨髄をすべて凍結保存しておくというのは難しいかもしれないけれど、せめて適合している人の分を凍結保存できれば、提供者の負担を軽くすることができるのではないか?現在の技術進歩を考えるに決して不可能なことではないと小野寺さんは言います。

最後に、次の30周年に向けての抱負を伺いました。
山形県は骨髄移植に関する補助制度を全国に先駆けて導入しました。しかも県内の全市町村で導入されたそうです。ドナー助成制度というのは提供した人に1日1万円、7日分を市町村から、と同時にそれと同額の補助を県からも支給する制度なのですが、この制度が導入されていても、会社を休めず提供を躊躇してしまうひとがいるというのが現状です。
今後は提供者のための休暇制度を、それぞれの会社で導入してほしいと小野寺さんは訴えます。それを全国の市町村に広めていきたい。それが今後の活動の目標です。そういった取り組みは単に企業側の一方的な負担というだけでなく、自社のイメージアップやブランド形成にもきっと役立つはずです。そのために全国の商工会や青年会議所に働きかけると同時に、行政とも今以上に連携していきたいと小野寺さんは言います。
これからはボランティア任せでは難しい時代だと、草刈さんは感じているようです。県主導でなければなかなか活動は広がらないといいます。現在、骨髄移植の支援団体は全ての県にあるわけではないのだそうです。以前は支援団体が存在していた県でも、活動が続けられなくなり、なくなってしまったところも少なくないそうです。
いかにボランティアが熱意をもっていても、仕事の傍らでやれることは限られています。医療従事者は仕事として活動を支援してくれるものの、仕事の範囲というのは決められています。ボランティアの人たちのような熱意を求めるのは難しいことです。
誰しもが当事者になりえるかもしれない。けれども当事者であるがゆえに悲しみに押しつぶされ、そのつらさに耐えかねて活動をやめてしまう人もいるそうです。そんななかで小野寺さんのように活動を続けてこれたのは奇跡だと草刈さんは言います。
「そんなことできないよ」と言われると、小野寺さんはより燃えるのだそうです。「違う方法でやればいいのよ。目標を達成するやり方は夫々だから」と小野寺さんは笑います。

設立30周年はすぐ目の前です。いかにコロナ禍といえども、小野寺さんたちの活動には立ち止まっている暇はなさそうです。

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